10月4日、フランスのパリロンシャン競馬場で凱旋門賞(G1・芝2400m)が行われます。今年もアドマイヤテラ、メイショウタバルという日本馬が挑む予定です。
「日本競馬の悲願」と何度も言われてきたレースですが、そもそもどんな競走なのか。そして日本馬はこれまで、どこまで迫ってきたのか。今回は凱旋門賞というレースの基本と、日本馬挑戦の歴史を整理します。
凱旋門賞とはどんなレースか
凱旋門賞は、フランスで毎年10月の第1日曜に行われる芝2400mのG1競走です。3歳以上の馬が出走でき、ヨーロッパの中距離路線における最高峰の一戦と位置づけられています。
この時期のロンシャンは雨が多く、馬場が非常に重くなることで知られています。日本の高速馬場とはまったく別物で、スピードよりもパワーとスタミナが問われるのが特徴です。日本馬が苦戦してきた理由のひとつとして、この馬場差はよく挙げられます。
また、欧州のトップホースが目標に据えるレースであるため、メンバーの質も一年でもっとも濃くなります。日本のG1を勝った程度では、簡単に通用する舞台ではありません。
日本馬の最高成績は「2着」
結論から書くと、日本馬はまだ凱旋門賞を勝っていません。最高成績は2着で、これまで4度記録されています。
| 年 | 馬名 | 騎手 | 着順 |
|---|---|---|---|
| 1999 | エルコンドルパサー | 蛯名正義 | 2着 |
| 2006 | ディープインパクト | 武豊 | 3位入線(のち失格) |
| 2010 | ナカヤマフェスタ | 蛯名正義 | 2着 |
| 2011 | ナカヤマフェスタ | 蛯名正義 | 11着 |
| 2012 | オルフェーヴル | C.スミヨン | 2着 |
| 2013 | オルフェーヴル | C.スミヨン | 2着 |
| 2022 | タイトルホルダー | ― | 11着 |
1999年 エルコンドルパサー――半馬身差の惜敗
日本調教馬として初めて2着に食い込んだのがエルコンドルパサーでした。半年間フランスに腰を据え、サンクルー大賞を制し、フォワ賞を経ての本番。勝ち馬モンジューとの差はわずかでした。
「勝ち馬が2頭いた」とまで言われたこのレースは、日本のホースマンに「届く」という実感を初めて与えた一戦として語り継がれています。
2006年 ディープインパクト――3位入線、のち失格
日本中が期待を背負って送り出した無敗の三冠馬は、3位で入線しました。しかしレース後の検査で禁止薬物が検出され、失格となっています。記録の上では、この挑戦は着順として残っていません。
2010年 ナカヤマフェスタ――アタマ差
宝塚記念でG1初制覇を果たしたばかりの馬が、フォワ賞2着から本番へ。勝ち馬ワークフォースとの差はアタマ差でした。日本馬がもっとも勝利に近づいた瞬間のひとつです。
2012・2013年 オルフェーヴル――2年連続の2着
三冠馬オルフェーヴルは2年続けて2着。特に2012年は直線で先頭に立ちながら、最後にソレミアに差し返される展開でした。勝ったと思った瞬間から一転するという、凱旋門賞の残酷さを象徴するレースになりました。
なぜ勝てないのか、と言われるけれど
敗因としてよく挙げられるのは、重い馬場への適性、長距離輸送の負担、レースの流れの違いといった要素です。ただ、これらはいずれも「指摘されている要因」であって、証明された答えではありません。
そもそも、2着が4度あるという事実は「まったく通用していない」こととは違います。あと半馬身、あとアタマ差というところまでは、すでに何度も来ている。足りないのは実力そのものというより、その日の巡り合わせなのかもしれません。
管理人のひとこと
凱旋門賞の話になると、どうしても「悲願」「壁」という言葉が並びます。ただ、こうして歴史を並べてみると、日本馬が積み重ねてきたのは敗北の記録というより、少しずつ距離を詰めてきた記録のように見えてきます。
1999年に初めて2着に届き、2010年にアタマ差まで迫り、2012年には直線で先頭に立った。届かなかったことばかりが語られますが、そこまで行った馬がいるという事実のほうが、本当は驚くべきことなのだと思います。
今年もまた、日本から馬が向かいます。10月4日、パリロンシャン。何度目かの挑戦を、また期待しながら見守りたいと思います。
実はこのブログの管理人、Amazon・楽天・Yahoo!を横断して最安値を一発で探せる比較サイト「sokone(そこね)」も作っています。お買い物の前に、よかったら使ってみてください。
sokoneを見てみる
コメント