2026年2月。 日本の競馬界は、一つの巨大な時代を終えようとしています。
美浦トレーニングセンターの象徴であり、数々の歴史的名馬を送り出した名伯楽・国枝栄(くにえだ さかえ)調教師が、70歳の定年を迎えて鞭を置きます。
アーモンドアイ、アパパネ、マツリダゴッホ…。
彼が育てた馬たちの名前を見るだけで、平成から令和にかけての競馬シーンが鮮やかに蘇ります。 しかし、国枝栄という男の凄さは、単に「G1をたくさん勝った」という数字だけではありません。
彼は、日本の競馬サークルの常識を変えた「革命家」であり、誰よりも馬を愛した「ホースマン」であり、そして最後まで一つの夢を追い続けた「夢想家」でもありました。
今回は、引退を迎える国枝調教師への敬意を込めて、その功績、哲学、そして愛すべき人柄について、余すことなく語り尽くしたいと思います。
第1章:「白いシャドーロール」の謎と発明
国枝厩舎を語る上で、絶対に避けて通れないのが「白いシャドーロール」です。
パドックで周回する国枝厩舎の馬たちを見て、「なんでみんな鼻の上に白いフワフワを付けているんだろう?」と思ったことはありませんか?
本来、シャドーロールとは「影を怖がる馬」や「頭の高い馬」に装着し、下方の視界を遮るための矯正馬具です。 通常は、気性に問題がある馬にだけ付けるものです。
しかし、国枝厩舎では、気性が大人しい馬だろうが、G1馬だろうが、所属馬のほぼ全頭にこれを装着していました。 あの最強馬アーモンドアイも、三冠牝馬アパパネも、例外なく白いシャドーロールを付けてターフを駆け抜けました。
「管理」のためのビジュアル戦略
なぜなのか? 国枝師はその理由をこう語ったことがあります。
「遠くから見ても、ウチの馬だと一発で分かるからだよ」
美浦トレーニングセンターは広大です。 数えきれないほどの馬が入り乱れて調教を行う中、遠くを走る自厩舎の馬の動きを正確に把握するのは至難の業。 そこで国枝師は、視認性の高い「真っ白」な馬具を全頭に付けることで、「あそこで走っているのはウチの馬だ」と瞬時に識別できるようにしたのです。
これは単なるファッションではなく、「リスク管理」と「多頭数管理」を徹底するための発明でした。
合理的な思考を持つ国枝師らしい、見事なアイデアです。 いつしかそれはファンの間でも「国枝ブランド」として定着し、白いシャドーロールを見るだけで「あ、国枝厩舎の馬だ。仕上げは万全だな」と信頼されるまでになったのです。
第2章:異色の経歴が生んだ「外厩革命」
今の競馬界では当たり前になった「外厩」というシステム。 レースが終わるとすぐに放牧に出し、トレーニングセンター外の施設(ノーザンファーム天栄など)で仕上げて、レース直前に戻すというスタイルです。
実は、この流れを決定づけたパイオニアの一人が国枝栄調教師です。
職人肌ではなく、インテリジェンス
国枝師は、当時の競馬界では珍しい「大学出身(東京農工大学農学部)」の調教師でした。 「見て盗め」「背中で覚えろ」という職人気質の古い競馬界において、彼は大学で畜産学を学び、科学的なアプローチや合理的なデータを重視しました。
開業前には、当時最新鋭の施設だった「山元トレセン」で場長を務めた経験もあります。 そこで「育成牧場側」の事情と能力を深く理解していた彼は、開業後、積極的に牧場と連携を取りました。
「トレセンですべて抱え込む必要はない。牧場の優秀な施設を使ったほうが馬のためになる」
そう考えた彼は、ノーザンファーム天栄などと密接に連携し、「牧場で仕上げて、トレセンで微調整して、レースで勝つ」という最強の勝利の方程式を確立しました。
アーモンドアイが休み明けぶっつけ本番でG1を勝ちまくったのも、国枝師が牧場の技術を誰よりも信頼し、使いこなしていたからこそ成し得た偉業なのです。
第3章:「牝馬の国枝」二度の三冠物語
国枝栄を象徴する二つ名、それが「牝馬の国枝」です。 繊細で仕上げが難しいとされる牝馬の扱いに長け、歴史に残る名牝を数多く育て上げました。
特筆すべきは、日本競馬史上でも稀有な「2頭の三冠牝馬」を輩出したことです。
① アパパネ(2010年)~執念の同着~
1頭目は、2010年のアパパネ
彼女のハイライトは、なんといっても優駿牝馬(オークス)でしょう。 横山典弘騎手(サンテミリオン)と蛯名正義騎手(アパパネ)が激しく叩き合い、完全に並んでゴールイン。
長い長い写真判定の末に出た結果は、「1着同着」
中央G1史上初の快挙でした。 絶対に負けられないという陣営の執念が乗り移ったかのような、凄まじいレース。 アパパネはその後、秋華賞も制して三冠を達成。母としてもアカイトリノムスメ(秋華賞馬)を輩出し、国枝厩舎の血のドラマを紡ぎました。
② アーモンドアイ(2018年)~世界最強の証明~
2頭目は、言わずと知れたアーモンドアイ
彼女については、もはや説明不要かもしれません。
- 牝馬三冠達成
- ジャパンカップでの衝撃的な世界レコード(2分20秒6)
- ドバイターフでの圧勝
- 芝G1・9勝(日本記録)
国枝師は彼女に対し、常に「リラックスして走ること」を教え込みました。 パドックで見せる堂々とした歩様、レースでの爆発的な末脚。 「国枝栄の集大成」とも言える最高傑作でした。
第4章:中山の鬼、マツリダゴッホの奇跡
「国枝は社台グループのエリート馬ばかりで勝っている」 そんな批判を実力で黙らせたのが、2007年のマツリダゴッホです。
当時の有馬記念は、ダイワスカーレットとウオッカという最強牝馬世代が全盛期。2冠馬メイショウサムソンなども人気を集め、マツリダゴッホは単勝52倍の9番人気に過ぎませんでした。
しかし、国枝師と蛯名正義騎手には秘策がありました。 トリッキーな中山コースを知り尽くした「内枠・先行・コーナリング」戦法です。
ダイワスカーレットに次ぐ3番手につけた状態で直線。暮れの中山で外に持ち出す馬が多い中、最内を強襲しました。
結果は、名だたる名馬たち王者たちを撫で斬りにする大金星。
「中山なら誰にも負けない」という適性を見抜き、大一番で完璧に仕上げる。 エリート馬だけでなく、個性派の馬でもG1を獲れることを証明した、国枝師の手腕が光った一戦でした。
第5章:届かなかった「ダービー」への想い
これほどの実績を残した国枝栄という男にも、神様はたった一つだけ、残酷なほどに試練を与え続けました。
「日本ダービーを勝つこと」
これが、国枝師にとって唯一にして最大の「忘れ物」となりました。
- コズミックフォース(2018年、16番人気ながら直線で先頭に立つも、ワグネリアンに屈し3着)
- サトノレイナス(牝馬ながらダービーへ挑戦するも5着)
特に、アーモンドアイで何もかも手に入れた翌年のダービー。 人気薄のコズミックフォースが激走し、あわや優勝かという場面もありましたが、ついにその夢は叶いませんでした。
しかし、多くのファンはこう思っています。 「ダービーを勝てなかったからといって、国枝栄の価値は揺るがない」と。 むしろ、完璧超人のような彼が、最後までダービーという夢に焦がれ続けたその姿こそが、私たちの胸を熱くさせたのです。
第6章:受け継がれる「国枝イズム」
国枝師は、マスコミへの対応が非常に丁寧なことでも知られていました。
勝った時はジョークを交えて喜び、負けた時でも敗因を冷静に分析して語る。 その知的な語り口は「国枝節」として親しまれました。
美浦トレセンでは、彼を慕う後輩調教師や騎手が数多くいます。 彼の技術、馬への接し方。それらは確実に、次の世代へと受け継がれていくでしょう。
息子さんも同厩舎で調教助手として働いており、いつか父の意志を継いで調教師になる日が来るかもしれません。 その時、またあの「白いシャドーロール」を付けた馬が、父の果たせなかったダービーの夢を叶える…。 そんなドラマを期待せずにはいられません。
おわりに:さようなら、白い帽子の名伯楽
2026年2月28日。 この日をもって、国枝栄厩舎は解散となります。
もう、あの青のジャンパーを着て、ママチャリでトレセンを疾走する姿は見られません。
パドックで、白いシャドーロールを付けた馬を優しい目で見つめる姿も見られません。
寂しいですが、これがホースマンの宿命です。
国枝先生。 長い間、本当にお疲れ様でした。 あなたの育てたアーモンドアイの衝撃を、アパパネの勝負根性を、マツリダゴッホの痛快さを、私たちは一生忘れません。
そして何より、 「競馬は、ブラッドスポーツであり、ロマンであり、そしてサイエンスである」 ということを、その背中で教えてくれてありがとうございました。
どうか引退後は、プレッシャーから解放されて、ゆっくりとダービーを観戦してください。 本当に、素敵な時間をありがとうございました!
🖊️ あとがき
今回の記事は、いつもの予想とは違い、コラム的なトーンで書かせていただきました。
私自身、競馬を始めた頃にマツリダゴッホの有馬記念を見て衝撃を受けた一人です。
皆さんの「国枝厩舎の思い出の馬」は誰ですか? ぜひコメント欄やSNSで教えてください!


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